温州大饅頭

買い物したり、美味いものを食べたり、ギターを弾いたり、楽しい場所に行ったり。

わかりやすいということ

僕はバンドを長い事やっています。

何度かブログでも紹介している、「カリスマ」というバンドでギターを弾いております。

まあだいたい月に1〜2本くらいのペースで都内各所でライヴしたりしているのですが、

先日もお世話になっているライヴハウスの18周年記念アニバーサリーイベントに出させていただきました。

 

結構オールジャンルなイベントで、

ベテランの素晴らしい演奏から、すごいフレッシュなバンドのこれまた勢いのある演奏だったり、

個人的にはすごく楽しかったです。

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ずっとバンドをやっていると、他のバンドを見るときに、

どうしても批評的な目線になってしまったり、分析をしながら見てしまったり、

純粋に楽しめなくなってきます。(といっても、そうやって分析するのが個人的にはすごく楽しいのですが・・)

 

「なんで」このバンドに勢いがあるのか、とか、

「なんで」この歌に引き込まれるのか、とか、

「なんで」このバンドにお客さんがたくさん付いているのか、とか、

 

「なんで」おじさんがそこに現れるのです。

 

人には好き嫌いがあるので、音楽的にはあんまり受け付けないけど、

なんか「いいな」と思うことも出てくると思います。

 

それはそのときそこに居た人たちとの空間がなんかすごい楽しかったから、

音楽性云々抜きにして楽しかった記憶の一部になるので、なんか「よかったな」という思い出になるパターンと、

 

その音楽そのものから衝撃というか、いい意味でのダメージというか、

なんか「すげえ」と感じることがあると思います。

これがきっかけで、そのジャンルに興味をもったり、中毒になったりすることもあります。

 

僕は長らく後者のなんか「いいな」と思う原因を探るべく、

色々なバンドをみて分析しているのですが、

ひとつ明らかになった前提は「わかりやすい」ということです。

 

恐らくそれが「キャッチー」という言葉に集約されると思うのですが、

要するに、バンドのアウトプットが明解で、このバンドはこういうことをやろうとしているのではないか、

ということが結構明確に伝わるということではないか、と考えています。

 

さらにそこに聴き手の範疇を超える(度肝を抜くような)仕掛けがポッと現れたときに、

感動が生まれ、やがて中毒になってしまうのではないでしょうか。

 

僕自身もそういうブレイクスルーを何度も経て今に至っております。

 

アーティストの作品は「問いかけ」を与えるもので、デザイナーは物事の「答え」を出すことが使命である、

と各所で言われております。

 

音楽をやっている人や団体がアーティストと呼ばれる事も多々あるのですが、

僕は限りなくエンターテインメントに近いものだと認識しています。

 

ですので、ミュージシャンは見たり聴いたりしてくれる人たちを楽しませることがやっぱり重要なんじゃないでしょうか。

すごく基本的なことに落ち着いてしまいました。

 

となると、マニアックな音楽性とか、聴いてるひとには非常にわかりづらいこだわりとか、

そういうの無意味じゃん、ということになってしまうのですが、

「楽しませる」なんてことは音楽やってる人は根っこではほとんどみんな思っていることでして、

それでもやっぱりこだわりを詰め込みたい!と、考えてしまうのです。

 

「わかりやすい」「キャッチー」ということを語弊を恐れずに言うと「ダサい」と捉えてしまうのです。

僕たちには感情あります。

ここのバランスが非常に難しいわけで、このバランスをいかに洗練させるか、

これがなんか「いいな」と思うバンドの条件のひとつになるのではないでしょうか。

 

思っていることを書いてみましたが、結構偏った意見だと思います!

このテーマに関しては定期的に論じていきたいです。多分自分の中でも色々感情に変化があるので。