都市を巡る -汐留編-
やっぱりシティボーイでいたいじゃん、でも「シティ」ってどんな意味がこめられているんだろう?
ふとそのような疑問を持ちまして、
「都市」、主に自分が暮らしている「東京」について、
今年一年かけてちょっと勉強してみようという試みがあります。
そこでまず導入として選んだ書籍がこちら。
最初にポッと選んだ割には大当たりの書籍で、一気に隈研吾さんの大ファンになってしまいました。
一流建築家の書く文章というのは何よりも説得力があって、言い回しやロジックがすごくハマります。
そこで、2月も終わるし、ということで、
この書籍の中でも論じられていた「汐留」に向かい、妻と定例(定例についてはこちらをご参照ください)を行うことにしました。
汐留って、そこで働きでもしない限り、
あんまり行く用事もないですし、割と最近再開発されてキレイな感じで、電通や日テレがあって、ゆりかもめが停まる、、
というような漠然としたイメージしかありませんでした。
割と朝早く、土曜日の汐留に降り立ちました。
予定していたランチビュッフェが予約制ではなく、先着順だったので、10時半くらいにはもう汐留にいました。
高層ビルがにょきにょき生えているスケールの大きさはまるでサイバーシティそのもの、
しかし閑散としていて、無味無臭、冷えた空気がまず僕らを襲いました。
汐留という区画はそもそも貨物列車の倉庫だった場所で、
その再開発ということで、いくつかのディベロッパーに区画を分譲し、
それぞれ各々が好き勝手にと言っては語弊があるかもしれませんが、思い思いの建築を施した、
という現状のようです。
書籍でも論じられておりましたが、
高度経済成長を終えた都市、すなわち東京は「成長期」から「成熟期」に移行していると。
この「成熟期」を迎えた東京で行われる都市開発には、様々な矛盾が生じてしまいます、と。
誰しもが思うのが、景気もそんなよくないのになんでモンスター級のビルばっか建てようとするんだろ、、
という事かと思います。
ここの所施されている新たな都市開発、なんかどれも似たような感じで、
どーんとでっかいビルがあって、低層階はショッピングモールみたいになっていて、
高層階はオフィスが入ってたり、カルチャー的な何かが入っていたり。
まあ、一度訪れて、「またすごいの建てたな〜」と思いつつも、
「なんか似たような風景だな〜」と感じてしまい、恐らく頻繁には来ない、
こんな繰り返しなんじゃないかな、と思っています。
事実、この感覚は間違っていなくて、
再開発するには、もちろん費用が必要です。
そこに現れたのが、グローバリズムという顔の見えない投資システムでして、
リターンを目論む投資はリスク管理を最優先にします。
要するに、投資に見合った、またはそれ以上のリターンを出すために訪れた人々がお金を落としていく仕組みを持ち合わさないといけない。
となると、大体同じような形式の「都市」が出来上がってしまう、ということのようです。
僕たちの目の前に現れる「都市」の正体は、"きわめて洗練されたリスク管理の賜物"だったようです。
僕個人的な感想としては、
しかしながら、このようなどこにでもある「都市」の姿をした空間に染まりすぎて、
ある種の安心感を憶えてしまっているのも実感としてありまして。。
キレイなトイレで用を足したい、とかキレイなカフェでゆっくりしたいとか、チェーン店で安く食事を済ませたい・・とか・・
そういう「匿名の空間」を意外と愛しちゃっているんじゃないかという気持ちも持っています。別に悪い事ではないと思いますが。。
例えば、せっかくロサンゼルスにいるのに「吉野家」入っちゃったり、
知らず知らずのうちに自分の内部がグローバル化されちゃっていることに、気付いちゃったんですね。
・・皆さんはどんな感じでしょうか?
グローバリズム、恐るべし。
さて、という前置きがありまして、汐留に対する良くない印象を持ったまま実際に歩いてみました。
ソリッドなdentsu
なぞのイタリア街
前述の通り、各ディベロッパーが区画毎に色々やっているので、
色んな顔があります。
目的は定例を行うことなので、ランチも兼ねて。
お手軽にイタリアンビュッフェが楽しめました。
お手軽価格90分1,350円。味もカジュアルですが、満足できます。
誰もいないイタリア公園
絵に描いたようなサイバーシティ
隣接する浜離宮のお堀には、恐らく先日の大雪の影響で木の枝がこそげ落ち、
なんとも無惨な光景が広がってました。イタリア公園とのコントラストがすごいです。
帰るべ、と新橋方面に歩いている途中、アスファルトに水菜が散在していました。
都市は時代を映す鏡である。